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ゲンバビト

by 加藤 いさお

第三章 交わる力

第二話 紙切れララバイ

モノには適正価格がある

このボロアパートもそうだ

久米川駅まで徒歩十分以内

新宿まで急行で三十分で行ける

ギリギリ東京都

ゴミゴミしていない

好条件とは言えないが

そこそこの条件だろう

この辺の相場なら

ワンルーム 風呂トイレ付きで

安くても五万円くらいか?

しかし

このアパートは

三万円台で風呂トイレ付き

あり得ない価格だ

誰かがこの部屋で殺されたのか?

違うな

理由は線路沿いだからだ

電車が通るたびに空間を捻じ曲げながら揺れるこの部屋に

慣れてしまっている僕は

それが当たり前の日常になっているが

たまに遊びに来るトモヨシには

「早く引っ越せよ、煩くて眠れねえ」

自己中に

愚痴を溢される始末

日中はほとんど

このアパートにいない僕は

さほど苦にならない

一日中ここに居たら

また違う感情も芽生えるだろうが

世に言う「寝るだけ」の生活には充分すぎるくらいだ

はっきり言おう

僕はここが気に入っている

そりゃたまーに

深夜の線路を清掃する列車が 爆音で僕を叩き起こす

「うるせえなあ」

一瞬イライラするが

気付けばまた眠りの中にいる

ギターを弾くと

職業不定の隣のオヤジに壁をドンとやられて

嫌な気になるが

この二つを我慢するだけで

相場より格安で住めるなんて

僕はなんて幸せ者なのだろうか?

適正価格以上の我が聖域

「がっぽり稼いで

東京23区内に引っ越してやるぜ」

この部屋は

己を奮い立たせる

モチベーションアップにも繋がる

「ドンドンドン」

ふと我にカエル

誰だこんな時間に

「夜分すみませんねえ」

「誰?」

「町内の祭りの事で」

「あ?祭り?」

ガチャリと開けると

角刈りでセカンドバッグを持った

どう見ても怪しいおやじがニコニコしながら

「祭りがね、あるんですよ」

おやじはそう言いながらビラを渡してきた

こいつは胡散臭い

「なんだよ?おっさん」

「おにいさん若いね、新聞読んでる?」

「読んでねえよ」

「とってよ三ヶ月で良いからさ」

「いらねえよ、祭り関係ねえじゃねえかよ」

「いやね、祭りにもうちの出張所が

協力してるからね」

「とにかくいらねえ」

ドアを閉めようとすると

「あ、ちょっと待って、ほら、これいらない?

西武園の無料チケット彼女と行きなよ」

「いらねえよ」

「じゃあ、さらに洗剤五個つけるよ」

「しつこいなあ、いらねえよ」

「そう、このままじゃアニキに半殺しに合うよ」

わざとらしく

ちらりとシャツの袖をまくると

そこには刺青があった

「オッサン、ヤクザかよ?なんで新聞の勧誘してんだよ」

「ヤクザじゃないよ、ただ、お兄さんが新聞に入ってくれないと

怖いアニキとまた勧誘に来なきゃならないんだよわかってよ」

姑息な奴だ

「来るなら来ても良いけどさ

絶対いらねえよ」

「頼むよ、ノルマがあるんだよ」

脅してみたり、泣き言を言ったり

カメレオンのようにコロコロと態度を変えてくる

このおやじはなかなか粘りつよい

「あ、ちょっと」言葉が終わる前に

無言でドアを閉めた

「おにいさーん、困るよ閉められちゃ」

何度もドアをノックしやがる

根負けした僕は

「おい、警察呼ぶぞこんな時間に

押し売りに来られてるって」

勢いよくドアを開けて

少しだけ凄んだ

「警察よりアニキの方が怖えんだよ、頼むよ」

「知ったこっちゃねえよ」

「後二人でノルマ達成なんだよ、あ、分かった

タダで良いよ 三ヶ月だけタダで新聞入れさせてよ

俺がおにいさんの分払うからさ」

「あんたさ、タダで新聞配ってなんの得があるのさ?」

「良いんだよ、大事なのはノルマを達成させる事なんだからさ

三ヶ月で、もう新聞いれないからさ

カタチだけでも頼むよ」

「オッサンさ、俺を担ごうとしてねえか?

深夜に集金なんかに来られちゃたまったもんじゃねえよ」

「この辺仕切ってるのは俺だから大丈夫だよ

集金にも来ないしさ俺が払うんだから

タダで新聞読めておにいさんには得しかねえだろ?」

「ほんとかよ?」

このオヤジは凄い

さっきまで話を聞く気にもならなかった僕に

タダとはいえ

今現在

「イエス」と言いかけているのだから

「じゃあさ、新聞入れて良いから

西武園のチケットと洗剤くれよ」

「え?だめだよこれは契約してくれた

お客さんにあげる分だから」

「じゃあ、いいや」

ドアを閉めかけると

「わかったよ、やるよ西武園のチケット」

姑息なのはこのオッサンと同じだな

ニヤリと笑いながら

西武園のチケットを二枚もらった

「洗剤は?」

「おい、あんまり調子乗るんじゃねえぞ」

「三つちょうだい」

舌打ちと妥協が交差したおやじは

箱入りのコンパクト化された洗剤を三つくれた

「じゃあさ、明日からポストに新聞入れるから頼むよ」

「ああ、わかってる」

「なあ、おっちゃん」

「なんだよう?」

「チケットありがとう」

「しょうがねえよ、こっちは商売上がったりだよ

でもよ、ありがとよ」

敵対しかけた関係は

絡みかけた糸が

すっと一本の糸に戻った時のように

一気に友好的な関係になる瞬間がある

そして

何故だか

互いに心から

「ありがとう」と称え合う

僕はこういう瞬間が大好きだ

「彼女と行くのかい?西武園」

「居ねえよ彼女なんか」

「だめだねえ、若い頃は彼女何人も作らなきゃ」

「うるさいな俺の勝手だろ」

「じゃあ、明日からよろしくな」

トボトボ歩きながら

おっさんは薄暗い蛍光灯だけが頼りの

このボロアパートの入り口へと

消えて行った

昼過ぎ、バイトに行くために

家を出ようとすると

ドアのポストに朝刊がささっていた

新聞を抜き取り

タダで新聞を入れてくれるおっさんへの敬意を込めて

僕は生まれて初めて

テレビ番組欄以外のページを

真剣に読むという

まだ見ぬ未知なる世界の

扉を開けた

なんだか、それだけで

己が偉くなったような気がした

踏切待ちで

とても大切な事を思い出して

慌てて家に戻った

テーブルの上に置いてある

「二枚の紙切れ」を

グレゴリーのポーチに入れた

「紙切れの一枚をあの子に渡そう」

僕の足取りは軽く

我ながら気持ち悪く

ニヤついているのがわかった

今日のバイト先は

「アルケミスト」だ。

電車に揺られながら

外の景色を見ているが

いつもの景色や線路すら

「違うモノ」に見えた。

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